2013年07月23日
他人の不幸を写真に撮るということ
昨日の夕方のこと。
主人と二人で夕食を食べに出掛けました。
途中の道路上にパトカーが止まっていて、その傍らにはボンネットがひしゃげた白い個人タクシーの車が。
すぐに事故だと分かりました。
運転手は大丈夫だったのだろうかと思いながら脇を通ろうとすると、若いギャル系の女の子が3人、事故車両の前に座り込み、ピースサインをして写真を撮っている。
若い警官が近づいて行き、「事故なんだから写真は撮ってはダメ」と注意しても「は~い」と言いながら止めようとしないのです。
やがて写真を撮り終えると女の子たちは自転車にまたがって去っていきましたが、なんとなく今の日本って悲しいなと思いました。
人の不幸を前にして写真を撮れる気持ちが私には理解できなかった。
友達と笑いあいながら写真を撮っていた彼女たちは、自分たちが不幸な目にあったとき、同じことをされたらどう思うのか、これから学ばなければならないと感じた。
主人と二人で夕食を食べに出掛けました。
途中の道路上にパトカーが止まっていて、その傍らにはボンネットがひしゃげた白い個人タクシーの車が。
すぐに事故だと分かりました。
運転手は大丈夫だったのだろうかと思いながら脇を通ろうとすると、若いギャル系の女の子が3人、事故車両の前に座り込み、ピースサインをして写真を撮っている。
若い警官が近づいて行き、「事故なんだから写真は撮ってはダメ」と注意しても「は~い」と言いながら止めようとしないのです。
やがて写真を撮り終えると女の子たちは自転車にまたがって去っていきましたが、なんとなく今の日本って悲しいなと思いました。
人の不幸を前にして写真を撮れる気持ちが私には理解できなかった。
友達と笑いあいながら写真を撮っていた彼女たちは、自分たちが不幸な目にあったとき、同じことをされたらどう思うのか、これから学ばなければならないと感じた。
投稿者 sorensen 14:58 | コメント(0)| トラックバック(0)
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